「その日の天使」がやってきた
一人の人間の一日には
必ずひとり「その日の天使」がついている。
天使はさまざまな容姿で現れる。
絶好調のときには見えない「天使」。
絶望的な気分に落ちているときは
その日に使わされている天使が
よく見える。
中島らも著 エッセイ「その日の天使」より
中島らもさんの言葉のままに、私の元にやってきたのがつぶやき天使というクレヨン画のキャラクターでした。
まんが家として、有名ではないにせよほどほどに生活できていた私でしたが、当時はわけのわからない閉塞感を感じてなんだか腐っていました。
クレヨン作品が生まれたとき、心の奥から喜びが沸き上がったのをよく覚えています。ヘレン・ケラーが「水」を理解した時のような、と言えばいいでしょうか。
うお~~~~~~って感じ。
わかります?
それは残念なことに、まんが家としての仕事をしているときには感じることのなくなっていた感情でした。
あまりにも規格外すぎる
それからというもの、私は、毎日一枚、ダイソーの落書き帳にさくらクレヨン16色で作品を描き続けることになります。
作品は、自然とその日に信じるだと思える言葉を添えるスタイルとなりました。
当時流行っていた絵手紙みたいなものにな?ただ、見えるものを写生して描いているわけではないので、それとも違う、それでいて生命力にあふれたそんな作品群になりました。
世間の人々はこれを「イラスト」だとおっしゃる。
たしかに、コマ割りがなくページもない。ペンも使わない。線画を着色したものでもない。
よしんば、イラストとして世に出そうにも、どうにも規格外すぎる。
どうしようもないのでアメーバブログで発表していました。
「これはまんが以外の何物でもない。」
実は、私の中には確信がありました。
なぜ、そう言いきれるのもわからない。わからないけれど確信がある。
こういうときは、自分の確信を信じるのが筋です。(あくまで個人の感想です。w)
コマ割り。
ページ。
たくさんのキャラクター。
吹き出し。
モノクロの線画。
連載物語。
雑誌。
これが、「まんが」という言葉から一般の人々が想像するイメージなんだと思います。
だから、私の作品は「イラスト」だと言われるわけです。
もし。
この条件にまったくあてはまらないクレヨン画が「まんが」であるとしたら???
この一般的なイメージは、まんがの本質ではないということになります。
オーマイゴッド!
What is MANGA?
私のところにやってきた新しい表現形態「クレヨンによる一コマまんが」。
もちろん、こんな作品を認めてくれる出版社はありません。
新しいスタイルの作品を募集している新しい出版社にも問い合わせたんですけど、なしのつぶてでしたね~。
自分の決めたスタイル以外のものなんて、彼らにとっては存在しないも同じわけです。
そうなると、もう日本で活動するのにも限界あるかも。
ということで、2008年以降毎年1~2回、NYに出かけることになりました。都合11回になりますか。NYには、これからの活動のヒントがそこにあるように思えたからです。
クレヨンまんが作品をアートとしてセントラルパークで売ったり、公文教室の子供たち相手にまんが教室をしたり。一番の収穫は、英会話のパティ先生との「日本」と「まんが」を巡るトークでした。
どっぷり日本という文化に浸かっていると、見えないものがあるんですよね。
そして、「まんが」の本質もそうなのでした。
パティ先生とつたない英語で話していると、いままでぼんやりしていたものがどんどんはっきり言語化されてゆきます。パティ先生にはよくこう聞かれたなあ・・・。
「あなたはいったい何がしたいの?」
私がしたいのは、私の作品を世に出すこと、でした。その時には、うまく答えられなかったけど、今ならはっきり言えます。
作品たちを世界に飛び立たせること。
イラスト・アート・まんが、カテゴリーはどうでもいい。
とにかく、つぶやき天使の作品を世界のステージに立たせてあげること。
見えないものを描くってこと
2010年以降、突破口としてクレヨンを使ったもうひとつの作品スタイルが形になりました。
「まんが似顔絵」です。お客さんの目の前で一枚のクレヨン画を仕上げるのです。
住宅展示場にいらっしゃるお客さんへのサービスとしてのバイトから始まって自分の店(縁日の露店)でも描くようになりました。
実は、私の「まんが似顔絵」、全然似顔じゃありません。
言ってみれば、その方をまんがキャラ化したらどんなになるかが、コンセプトといえばわかりやすいですかね。
このおじちゃんはちょっと疲れた猫みたいだなあ、とか、この女性はゴージャスな羽をもつ鳥みたいだなあ、というビジョンを作画するという塩梅で、全然写生から出発していないんですよね。
でも、その人の「本質」をとらえて作画しているせいで、似てないけどそっくり、となる。
目の前にモデルはいても、私が見ているのはその人の造形じゃあありません。私が見ているのは見えないもの。描いているのは見えない何かなんですよね。
そう。
「つぶやき天使」たちがまさに、そうなのでした。
インスパイアを求めて
わたしが描いたクレヨン画作品は、2000枚ほど。
この規格外(業界からみたら)の子たちを、私は世の中に出してあげなければなりません。
まさに、ゼロから製品化。ゼロからの販路開拓です。
2011年東京下北沢のギャラリーのグループ展に参加し、その流れでスカイツリー内の郵便博物館ショップの置かせてもらうことになったものの、違和感を感じて一旦データはお蔵入りに。
お客さんと話せるわけでもなく新しいアイデアが展開させられるわけでもない「仕事」。考えたら、これ、私が飛び出てきた「インスパイアがもはや起こらない」作品作りに陥った商業誌の仕事と同じだったんです。
私がしたいのは、工場で画一化された製品を製造するようなことじゃないんです。同じことを繰り返しはじめたら、そこで人間はゾンビになってしまいます。クリエイティブであることが、生きることなんですよ。
どうせ生きているなら、人との関わりからどんどんインスパイアされて作品と一緒に進化していきたいじゃないですか。
2017年に新しい作品データを使ってカード型のカレンダーを制作。
これが、友人の助言でオラクルカードとして形になったのが2019年でした。
セルフカウンセリングカードとしての「その日の天使カード」の誕生です。カードの言葉が刺激になり自分が今どういう気持ちでいるのかが意識できる、自問自答型のカウンセリングカードです。
私自身がこのカードを使うことでどんどん開眼できたという優れものなのですが、それはカードが「自分に一番届きやすい言葉」で作られているからなんですよね。
そしてたどり着いたのが、誰もが自分用にセルフカウンセリングカードを持つべきなんじゃないだろうか?という考えでした。